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読書記録と日常のあれこれ。

まとまらない言葉を生きる|読書メモ

この本では「言葉の壊れ」についての筆者の思いが各章ごとに書かれている。
「言葉の壊れ」とは、言葉遣いの乱れとかではなく、負の力に満ちていたり、人の心を削る言葉のこと。
それは、古くから存在していたが、ソーシャル・メディアの普及により、かつてとは比較にならないほどに個々人の日常に食い込んでいる、と筆者は警鐘を鳴らしている。

それは、「質」として重みのない言葉が横行し、一般人だけでなく大きな影響力を持つ人出さえも、「言葉の壊れ」に加担している、と述べられている。

日本語では「現質を取る」という慣用表現があるが、この「質」は「人質」の「質」なので、”言葉は本来「質」になりえるくらい大事なもので発言者自身の言動を持って縛ってしまうほど思いということだ”とも書かれている。

ひとことでは言い表せない「言葉の壊れ」に抗い、「まとまらない」ことさえも許容(ある種のあきらめ)し、安易な要訳主義を避け、受け手の感受性や想像力を信じて託す、そんな思いで書かれた本書なので、自分なんかにまとめられるわけもなく。

印象に残った箇所を備忘録としてメモしておく。

書籍情報

著者 荒井裕樹
発行 2021年5月25日
まとまらない言葉を生きる

章立て

  • まえがき 「言葉の壊れ」を悔しがる
  • 第一話 正常に「狂う」こと
  • 第二話 励ますことを諦めない
  • 第三話 「希待」という態度
  • 第四話 「負の感情」の処理費用
  • 第五話 「地域」で生きたいわけじゃない
  • 第六話 「相模原事件」が壊したもの
  • 第七話 「お国の役」に立たなかった人
  • 第八話 責任には「層」がある
  • 第九話 「ムード」に消さる声
  • 第十話 一線を守る言葉
  • 第十一話 「心の病」の「そもそも論」
  • 第十二話 「生きた心地」が削られる
  • 第十三話 「生きるに遠慮が要るものか」
  • 第十四話 「黙らせ合い」の連鎖を断つ
  • 第十五話 「評価されようと思うなよ」
  • 第十六話 「川の字に寝るって言うんだね」
  • 第十七話 言葉に救われる、ということ
  • あとがき 「まとまらない」を愛おしむ

備忘録

「誰かを黙らせるための言葉」が降り積もっていけば、「生きづらさを抱えた人」に「助けて」と言わせない「黙らせる圧力」も確実に高まっていくだろう。

”言葉は降り積もっていく”、とも書かれていてソーシャルメディアはそんな事象を加速させ、よくもわるくも言葉の蓄積と価値観形成を爆増させた

「がんばれ」「負けるな」「大丈夫」

これは裏返すと、「自分を強く持て」ということなんだけど、受け取り方によっては、「いじめられるあなたが弱いからいけない」というメッセージにもなる

励ますことのむつかしさを感じる。相手の立場に立って考えるのが第一歩だけどそれも本気でやろうとすると難しい。そんなときは安直な言葉ではなく寄り添う姿勢や態度の方が有効なのかもしれない。

希待とは、~ぼくはこの言葉を、見返りを求めず相手のことを信じてみようという態度のことだと解釈した
希待とは、いま悩んでいる人の、その悩みを取り去る鎮痛剤みたいな言葉じゃない。むしろ、今悩んでいる人のことを尊重して、「いまは悩んでていいよ」と寄り添うような言葉だ

聞き届けと似ている。解決策を言いたくなってしまう傾向があるので気をつけたい。

乗り越えるべき壁を見誤らないためには、「冷徹に自分を見つめること(自己凝視)」が必要なのだ

それで、君はどうするの?君は、どうしたいの?

このあたりはめちゃくちゃ本質的な話。自分がわかってないとどうしたいかがわかるはずもない。

ムードというのは、マジョリティにとっては空気みたいなものだけれど、マイノリティにとっては檻みたいなもの。決して誇張ではなく、本当に恐ろしいものだ

世の中を一言で言い表している。「空気」の研究 (文春文庫)でも近いことが書かれていた。

この世の「遠慮圧力」は、みんなに等しく均一にかかっているわけではない。やはり、どこかで、誰かに、重くのしかかっている。

「マジョリティの他人事感覚」の壁の厚さ

同調圧力やマイノリティの声の上げにくさはなかなか無くならない。

「自己責任」の不気味さ

たしかに、自己責任という言葉を都合よく使ったり、人を黙らせる武器として安易に使う人が増えている気がする

人は自分の想像力の範囲内に収まるものしか評価しない、だから、誰かから評価されるというのは、その人の想像力の範囲内に収まることなんだよ。人の想像力を超えていきなさい