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空気の研究|読書メモ

「空気」というつかみどろこのないテーマに対する解と向き合い方について書かれている書籍。あの人は「空気が読めない」とか「空気読めるよね」という会話を一度は聞いたことがあったり、自ら発したことががあるという人も一定数いると思う。また、「空気」に流されて後悔してしまったという経験が自分自身もあるが、この本を読んだことで、そもそもなぜ「空気」に流されてしまうか?やそういった場面ではどのように対処すればよいのか、などの示唆を得ることができた。よい本だったので振り返りポイントをメモしておく。

書籍情報

著者 山本七平
発行 1983年10月
「空気」の研究 (文春文庫)
「空気」の研究 (文春文庫)

「空気」とはなにか

人は確かに、無色透明でその存在を意識的に確認できにくい空気に拘束されている。従って、何かわけのわからぬ絶対的拘束は「精神的な空気」であろう。

あらゆる議論は最後には「空気」できめられる。最終的決定を下し「そうせざるを得なくしている」力を持っているのは一に「空気」であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。

「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の「超能力」かも知れない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、「作戦として形をなさない」ことが「明確な事実」であることを強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったのかを一言も説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない。こうなると、統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切無駄であって、そういうものをいかに精緻に組み立てておいても、いざというときは、それらが一切消し飛んで、先にこの「空気」なるものの正体を把握しておかないと、将来なにが起きるやら、皆目見当がつかないことになる。

一体、以上に記した「空気」とは何であろうか。それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力であることは明らかである。

上記は本書の序盤で説明されている空気に関する説明の一節。有名な話では第2次世界大戦時に戦艦大和が無謀とわかっていながらも敵陣に特攻し、無残な結果に終わり、その判断も空気によって決められているという例がある。

より身近な例を思い浮かべてみると、大人数が参加する会議で何か重要な事項が決議されたとする。その時に判断が不合理であったり、違和感を感じる内容であっても、「周りが良いといっているから」「あの人が決めたことだから」などの理由で、”場の空気”に流されてしまう、というような事象がまさにソレである。

後々になって「やっぱりおかしかった」と思っても、その場では何も言えず、会議後、気心知れた仲間との雑談の中で「さっきの判断は間違っていたのではないか?」「こうした方がよかったのではないか」などの議論になっていくこともある。これも雑談の中の「空気」だからこそ出てきた意見だと言えそうだ。

思えば、人々の考えや行動の多くは「空気」で決まっているように感じる。マスコミの情報、権力者や著名人からの発信、身近な人の言動なども、「空気」を作る要因となっている。「空気」は目に見えないため、それが作られる過程や論理を証明するのは難しいが、「空気」には流れがあり、流れを読むことで空気の起点や醸成されていく過程を感じることは可能だと思う。

「空気が読めない」や「察しがいい」などの表現もまさに空気に関するディスや褒め言葉であり、どちらかというと「空気が読める」人の方が称賛されやすい傾向が強いので、もしかすると日本人は空気を読むことを良しとしすぎているのかもしれない。(もちろん、空気が読めたほうがよい場面もたくさんある)

では、空気が場を支配し、最悪の方向に物事が向かいそうな時、どう対処すればよいのか?

本書では「水を差す」という表現を使っている。

「水を差す」と聞くと間の悪さを連想し、悪い言葉に聞こえてしまうがそうではなく、全てを理解した上であえて「水を差す」ことの重要性を著者は説いている。

ある一言が「水を差す」と、一瞬にしてその場の「空気」が崩壊するわけだが、その場合の「水」は通常、最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人々を現実に引き戻すことを意味している。 

ヤバい空気に対して水を差せない状態というのは非常に良くない。
破滅するのが目に見えているのに誰も何も言えない状態であり、童話の「裸の王様」もまさに空気によって配されている状態を表している。

でも、そういった状況は結構頻発しているという人もいるかもしれない。
組織やチームのなかでこうなってしまう原因は根本はコミュニケーション不足にあると思う。
コミュニケーションが不足すると相互理解が進まず、信頼関係を築けない。
そうなると、心理的安全性が低下して、「水を差す」どころか意見すらもしにくい状況に陥ってしまう。
そうならないためには、小さなことの積み重ねが重要で、日々のコミュニケーション頻度と密度を高める、具体的には、挨拶する、感謝する、雑談する、相手を理解しようとする、自己開示をする、などの当たり前のことを愚直にやるしかなさそうだし、結果、一番の近道になるような気がしている。

本質を考えさせられる内容だったので、また間を空けて読み返してみたい。