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読書記録と日常のあれこれ。

JK、インドで常識ぶっ壊される|読書メモ

面白かったので一気読みしてしまった。14歳から17歳という多感な時期をインドで過ごしたJKの心の変化と成長が綴られていて考えさせられれる内容だった。常識という言葉のうらにはその人たちの出自や環境の要素が多分に含まれていてその常識はよそでは通用しない場合があるというのは本当にその通りだと思うし、これは日本国内であっても言えること。著者の熊谷さんは親の転記でインドに行ったのでいわば受け身の状態だったと思うけど、そんな常識が通用しない世界でも現地に適用しようと努力する様子や腹を決めて大変な事象に立ち向かっていくさまは素直にかっこいいなと感じた。個人的にも2年前にケニア旅行に行き、似たような感情になったこともあり、共感させられることが多い一冊だった(ケニア=途上国なのでかわいそう・あぶなそうな国という周囲の反応、実際の様子と良くも悪くも常識が通用しない点など)。これは大人も子供も読んだ方がいいな。

書籍

  • 著者 熊谷はるか
  • 発行 2021年12月30日

章立て

  • 第一章 JK、インドへ行く
  • 第二章 JK、インドライフにビビり散らかす
  • 第三章 JK、インドグルメの沼に落ちる
  • 第四章 JK、カオスを泳ぐ
  • 第五章 JK、スラムに行く
  • 終章 JK、インドを去る

メモ

なんで、インドに行くことが恥ずかしいんだろう。送り出してくれるひとたちのことばや表情の隅っこに、なんで、同情の念がかくれているような気がしてしまうんだろう。インドに引っ越す、ってかわいそうなことなのかな.....。
ラトゥナに限らず、わたしも、誰も、自分の生まれた肌色を心地良いと思えたらな
常識は、常識なのではなくて、常識と呼べる環境にいてこそ、さらにまわりも共通してそんな泡のなかにいてはじめて成り立つのだ。そしてまだ、常識と呼んでしまうようなものの多くは、若いころや幼いころに吸収する。小学校低学年で学んだ分数を、知識ではなく常識だと思ってしまうのは、そのころでないと身につかないからなのかもしれない。
そとから課せられた基準と、自分自身の都合や利便性としった内面の要素のバランスをうまくとることは、ターバンおじさんにも日本のJKにも通じることなのかもしれない。
そのなかを毎日通るうち、初めは心が揺らいだ後継にももう慣れてきてしまうのだ。心のどこかでなれちゃだめだ、なにもかんじなくなっちゃだめだ、と思っていても、ルーティーンというものの力強さは計り知れなかった。
わたしの「bit」はなんだろう....。
だから、顔を上げなければいけない。手のひらに収まる薄い板だけじゃなくて、窓の外に目を凝らし、手をのばさなければいけない。手を伸ばさなければいけない。窓が、与えられているのだから。そこに広がる景色が整然としていない、混沌だったとしても。だって、混沌のなかに希望がないなんて、誰が決めたの?


ケニアのキベラスラムに行ったこときの体験に通ずるものがあったな。
go-sk.hatenablog.com