尊敬する人がおすすめしていたから読んでみたけど難しかった、、。昔の言い回しになっているのもあるし文字通り授業を受けている感覚になるからかもしれない。人は成長していくにつれて教えられたり、叱られたりすることが減り、場合によっては誤った方向のままになってしまうこともあるのでそういう時に読み返すとよさそうな内容だった。
メモ
- 死
いのちほど大切なものはないわけですが、同時にまたいのちほどわれわれ人間のおろそかにしているものはないといえましょう。実際わたくしたちはその日常生活において、いのちとは比較にならぬ程つまらない些々たる事柄のために、あたら一生を空費しているともいえましょう。
- 発願
われ如何なることを為すべきか<<
- 不幸を受けとる態度
しかしながら、このさい注意を要する点は、この失われたものに対して新たに与えられるものは、その性質が、失われたものと、必ずしも同じ種類のものではないということです。否、多くの場合それは全くの別種のものであり、またその与えられる方向も、全然違った方向において与えられっるのが常であります。そしてこの点が、ただ失われた物のみに気を取られている人には、容易に気づきにくいゆえんであります。
- 修養について
真の修養とは、自分の生命に鍛錬を加えて行くことによって、そこに強さと同時に一種のしなやかさが出てくるということでしょうが、このしなやかさが出て来るというのは、言い換えれば単なるがむしゃらな強さではなくて、「我」の強さがしだいに溶けていくということであります。
~
かくして真の修養とは、かの去勢せられた意気地なしとか、単なるお目出度屋になることではないのはもちろん、それは単にがむしゃらな強さでもなくて、その半面にゆとりとしなやかさとが出て来ねばらなぬであります。
- ひそかなる決意
この人生に対して「ひそかなる決意」を以って生きるようでないと、この二度とない人生も、ついに無意味に終わると思うのであります。
- 仕事の処理
何よりも第一の心掛けは、「着手を延ばさない」という一点にあると信ずる者であります。然るに人々の多くは、ともすれば「つい仕事が延びのびになって」といいわけをするようですが、その実それは「着手が延びのびになった」ということであります。