「なぜ、あなたがリーダーなのですか?」そう聞かれて、即座に返答できる人はどれだけいるだろうか?本書はそんな問いかけからスタートする。もちろん、絶対解はなく、状況により答えはさまざまだろう。人類誕生以前からAI時代までの歴史の変化に伴うリーダーシップとその在り方が語られている。いわゆるリーダーシップに関するTipsを求めている人には期待はずれかもしれないが、リーダーシップという答えのない問いについて、歴史的背景から今現在求められていること知りたい人にとっては有益で示唆のある内容だと思う。以下、振り返り用のメモとして。
はじめに
- リーダーには世俗的サイクルと呼ばれる長期サイクルを認識し、暴動や戦争を避けながら、格差を是正する離れ業が求められてきた
- ポイントは”限られた資源”と”限られた社会的ポスト”を、どうやって平和的に増やし配分するかである
人口が増える(人口密度が上がる)→土地などの限られた資源の価値があがる→労働者の賃金が資源の価値に対して相対的に下がる→土地などを持つ富裕層と労働者の格差が増す→富裕層による限られたポストの争いが激化する→安価な労働を背景として富裕層の間での競争規模が大きくなる→国家が富裕層を制御できなくなる→格差が極限に近づき人々の不満が高まる→社会不安が増すことで暴動や戦争が起こる→暴動や戦争が富裕層の冨を破壊して格差が縮まる→人口が増える(人口密度が上がる)
- 「自分らしいリーダーシップ」を求めていくのは、「自由の刑」に、人々を放り込むことでもある。人間にとって自由とは、何もかも自分で決めなければならない苦痛となる
第1章 人類以前のリーダーシップ
組織メンバーとの血縁距離が近いか、またはメンバーを家族や親友のように扱うリーダー
- 個々の要素に与えられている単純な規則が複雑なパターンを作り出すプロセスのことを自己組織化という
- 進化論は3つの規則でてきている
- 1.生物の個体にはそれぞれ差異がある
- 2.そうした差異は生存と繁殖に影響を与える
- 3.子供は親に似る
- 単純接触効果はリーダーシップにも応用できる
- 自己組織化からリーダーは生まれる
- リーダーシップ論とは組織論である
- 組織には群れの規則が発生する
- 意思決定するときに自分の価値観だけでなく、ランキングや口コミに左右されやすい
- リーダーだけは理性に目覚めている必要があり、自分の頭でかんげ、限られた情報の中で少しでも正しい判断をしようと迷うことが求められている
- 順位制のメリットは2つ
- 1.組織内の争いが減り、社会が安定する
- 2.組織の所属から得られる利益が、劣位であることの不利益を上回る
- 順位制を持っている組織は、独裁的で強いリーダーが出現すると安定する
- イノベーションは劣位から発生する
- 愛は血縁の距離に比例する
- 血縁が近い複数の個体はお互い協力できるよう可能な限り一緒にいようとする
- つまり家族はもっとも原始的な組織と言える
- 人間の大人は猿の大人と比較して愛の欲求が強いという指摘がある
- 人間は私利私欲の塊である。何事に対しても自分と家族の利益を優先させる
- 人間の利他性の裏側には称賛への欲望が隠れている
- イノベーションを起こし続けるには家族的な組織では太刀打ちできない
第2章 旧石器時代のリーダーシップ
メンバーの経験が世代を超えて共有され、組織の財産として積み上がることをうながすリーダー
- 火は最古のスーパーアプリ
- 火の周りには人が集まり、悩みや相談やアドバイスが発生する。様々な議論が起こり、談笑がある。教育が行われ、祭りがあり、出会いもある。まさに人類が初めて手にしたアプリといえる
- 昨今ではお一人様を始めとした孤食が増えている。一概に悪いことはないが、チームワークやリーダーシップの観点では警戒すべき状況ではある
- 旧来は火を囲みながらリーダーシップが発揮されていた
- コレクティブラーニングと知的創造スパイラル
- 返報性と心理的負債
- I=B+C
- I(心理的負債)
- B(自分が受けた利益)
- C(相手がその援助のために支払った労力)
- 仲の良い組織の内部では、みなが律儀にお返しをする。さらに他者への共感能力が高い人ほど、罪悪感を感じやすい。つまり返報性というのは、利他性を刺激し、その組織のソーシャルキャピタルを高めることに貢献する
- 「おおよそ、持っている人には与えられ、いよいよ豊かになる。しかし持っていない人は、持ってい人は、持っているものまで取り上げられる」
第3章 農耕以降のリーダーシップ
メンバー間の争いを調整しつつ、厳格な順位による指揮命令系統を確立し、組織を維持するリーダー
- 農耕社会ではすげんや漁業権など共同で守るべきものが出てきた。狩猟採集社会ではほとんど食料の保存がきかなかったため、財産として守るべき余剰が少なく、奪ったり奪われたりの争いもおきにくい。農耕社会は共同財産や余剰が生まれたことにより、その管理役が必要となり、結果順位制のリーダー登場した
農業の目的が金銭的な利益ではにことは、もっと注目されるべきだ。人間にとって農業は、少しでも多様な食料の安定供給を行う、最重要の産業なのである。それにも関わらず、先進国では、たとえば1粒千円にもなるような高級イチゴのように、経済的に高付加価値な食料生産へのシフトが起こっている
- 農耕社会の始まりはRBVの始まりでもある
- 自分たちの資源を競合よりも適切に管理するときの競争戦略上の概念
- 農耕社会であれば、動植物をより上手に生産し、水源や道路を高度に整備し、戦争のための武器を生産しつつ、兵士の訓練を怠らないといったことがRBVになる
適切な資源管理は、多くのルーティン・ワークによってしか実現されない。現代的には、ルーティン・ワークは価値の低い仕事として敬遠されがちだ。しかし、組織の成長は、むしろルーティン・ワークのコレクティブ・ラーニングに依存しているのである
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ただし、そうしたルーティン・ワークを進める個々の労働者は、組織のリーダーから見たとき、取り替えが効く存在である。社会的には非常に価値の高い仕事をしていても、需要と供給のバランスから、ルーティン・ワークのための労働者は低賃金で使役されることになってしまう。これは、現代社会でも変わらない不都合な真実だ。
経営学の世界では、近年、専門性のダイバーシティが、イノベーションの源泉として急速に注目されるようになった。世間一般には、国籍、人種、性別、年齢といった属性のダイバーシティに注目が集まりやすい。しかし、こうした属性のダイバーシティは、イノベーションに資するどころか、むしろマイナスの影響さえあることがわかっている。これに対して、専門性のダイバーシティは、イノベーションにプラスの影響があることは、経営学の常識だ。
- 組織は戦略に従い、戦略は産業構造に従う byマイケル・ポーター
農耕社会のリーダーは、相手が最下位の者であればあるほど、むしろ疑似家族のように接することが求められたのだと思う。順位制を維持・拡大するには、最下位の者が、リーダーに対して「こんな私のことも気にかけてもらえる」と感じられるかどうかが肝になるからだ。
- 人間は勲章がほしいから正しい行動をする
人間のイノベーションは、環境収容力を高め、社会の時事置く可能性に寄与するためにこそ必要とされてきた。単に目新しい技術が、優れたイノベーションなのではない。環境収容力に対してポジティブな影響を与えないイノベーションであれば、人間にとってはむしろ害悪になりえる。
第4章 四大文明の誕生以降のリーダーシップ
組織のメンバーを多様な専門性に分化させ、多数の専門家集団の利害を調整するリーダー
- ニーチェも言う通り、人間は本質的には利己的であり、他者に対して無関心である
- 組織の経営においては幅広い知識を基礎としつつ、特定の知識を深堀りしていく両利きの経営がイノベーションにつながることがわかってきた
リーダーシップとは、人間がいかに生きるべきか、への自分なりの解答、生きる態度である
- 国家から地球へ
スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリ(2003~)は、こうした新しい公共性の教育が生み出した新しい人間である。多くの非難を受けながらも、ブレることなく地球環境問題へのコミットを示す彼女の姿は、世界的なリーダーそのものである
- 特定の環境に過剰適応したものは、新しい環境に適応する柔軟性を持たない。これは企業も同じでイノベーションのジレンマと通ずる
- 現役のリーダーが評価されるのは期待値にすぎない。すなわち、周囲からやれそうだと思ってもらうことが重要ということ
- 文化とは生きるための工夫である。文化は環境によって生を与えられる
第5章 ルネサンス以降のリーダーシップ
メンバーにビジョンを示し、組織行動に正義と自尊に繋がる目的を与えるリーダー
リーダーには、歴史の中にルネサンスを求め、自らの態度を絶え間なく評価していくことが求められる。成り行きに任せるのではなく、過去の成功を否定するようなイノベーションに向かうことが、ルネサンス以降のリーダーの条件ともいえる。
リーダーは、自らの組織にあらたなテクノロジーを導入する存在である。そのとき、そのテクノロジーが労働者の何を破壊するのかを熟慮しないと、何のためのリーダーシップかわからなくなる。順位性が浸透している組織において、劣位にあるものの生活基盤を奪うという好意は、リーダーとしての正当性を根本から揺るがす大問題だからだ
この頃、日本の武士は(あまり)数を気にせず戦える刀を使うことに習熟していた。武士は、個人としては、世界的に考えても相当に強い戦士であったことがわかっている。1対1の戦いであれば、武士はおそらく世界最強であった。しかし、組織的な戦争となれば(特に海上では)日本は、当時のヨーロッパ文明にはまったく歯が立たなかっただろう。
危機的な状況においては、独裁的なリーダーが求められる。ドイツにヒトラーが生まれ、イタリアにムッソリーニが登場したのは、世界恐慌の結果として考えることができる。残念ながら、ここもでのストーリーもまた、自己組織化で説明することができてしまう。
知識人とは、あらゆる権力、あらゆるマジョリティから距離をおき、常にアウトサイダーとして権力の間違いを批判する存在である。知識人は、現状の撹乱者であり、見せかけの謙虚さとは無縁の人々だ。
権力者にとって専門家とは、必要なときに都合良い知識を提供してもらえればそれでよい人間にすぎない
本当の問題は、専門家集団のメンバーを人選する権利が誰にあるのかというところだ。政府を構成するのが人間である限り、招聘されるのが、そうした権力者と価値観の近いメンバーになることは止められない
第6章 インターネット以降のリーダーシップ
権力者のビジョンに疑いをかけ、弱者の立場から代替案を提示し、それを進めるリーダー
理性はむしろ感情の奴隷であって、理性によって感情を生み出すことは(ほとんど)できない。共感できないことは、共感できないのが人間の限界である。共感しているフリだけは、受けてきた教育によってうまくできるかもしれないが。
インターネットが、グローバル化を進める強烈な推進力であることに異論はない。世界はインターネットを規制することに忙しいが、それは国家にとってグローバル化が不都合であるからである。しかし、インターネットは、誰もその全体を管理するものがいない、自律的なシステムだ。そうしたシステムを止めることはかなり難しい。
企業はどうか。正直ベースでは、企業が目指せるのは、せいぜい、「don't be evil」までの道徳である。ソクラテスが主張した「善く生きる」からはほど遠い。
人間の場合も、スーパー・チキンさながらに、個人レベルで生産性の高いプレイヤーばかりを集めても、組織としての生産性は決して高まらない。スパルタ教育やプラトンも『国家』、そしてダーウィンの主張を思い出してもらいたい。ダーウィンはもちろん、古代ギリシャの哲学者たちは、すでに、個人の利他性を育むことが、組織全体の生産性に寄与することに気づいたのである。
- スピリチュアル系とポピュリズムに警戒せよ
誰もが、先行きが見えない社会の中で、自分が生きていけるのか不安に感じている。みんなが不安なのだから、リーダーに求められるのは、そうした不安を少しでも減らすことだ。そのためには現実社会において、チームを率いて実績を出していくしかない。私たちは、目の前の課題に向き合うことしかできない。いきなり目的地にジャンプすることはできないのである。
特定にの集団に所属していることしか誇れることがないのは、とても残念なことだ。しかしそれは自己責任ではない。ここに対して、社会的インパクト投資やSDGsの取り組みが機能しないとするなら、私たちはスピリチュアル系やポピュリズムの台頭を警戒すべきだ。警戒したところで有効な打ち手はないのであるが
全体をコントロールするリーダーなしで、社会の変化だけが加速している。本書では、人間のリーダーに求められることを、自己組織化によって破滅に向かおうとする群れを、新たな方向に導くことであるとしてきた。であるならば、現代社会において、成功してるリーダーはいない。
私たちは、人間と呼ばれるサルに抽象化されつつある。それはもはや、食事をして余韻を持て余す人間とう記号にすぎない
確実なのは、特定のスキルを一生懸命に鍛えても、そのスキルの市場価値には賞味期限があり、その賞味期限がどんどん短くなっていくことだ。獲得したスキルによって付加価値が生めなくなれば、賃金が上がる理由もなくなる。
おわりに
私たちは、いまこそ目覚めなければならない。リーダーとは、成り行きで出現する未来と戦う存在であり、成り行きとは別の未来を実現する人間なのだ。私たちは、何かを終わらせて、何かをはじめないとならない。その行動の繰り返しこそが、リーダーの責務である。