タイトルを見たとき「えっ、なんで?」と思い、即座に手に取り読んでみることに。というのも、大学院のクラスで「SDGsの課題をテクノロジーで解決せよ」というミッションに挑むことになり、アフリカの低所得者向けに基礎教育を届けるというソリューションをレポートとして提出した過去があり、クラスの中では比較的よい評価をもらっていたから。
もちろん、テクノロジーも万能ではないし、机上の空論だということはわかってはいたが、それでも少しは貢献することができるのでは、という思いもあった。ただ著者の外山さんは実際に途上国でテクノロジーで教育変える取り組みを行ったが、思うような結果が出なかったと語っている。そればかりか、テクノロジーは貧富の格差をより助長する、という主張もされており、その内容は一理あるなと思うものだった。
結論、テクノロジー以前に人の内省的成長を促すことが大事であり、そのためには大人側(親や教師)の意識も変わらないとだめで、コミットして結果を出すのは至難の業と言わざるをえない。
テクノロジーをきっかけに人生を一変させた人もいるし本書の中でも事例として紹介されていたが、そこには本人の努力と周囲のサポート、タイミングや運などすべての要件が合致した例のようにも見受けられる。いずれにせよ、”テクノロジーだけ”に過度の期待を寄せる施策はやめるべきで、これは教育だけでなく、コロナ以降話題になっているDXにも共通する考え方だと感じた。以下、振り返り用のメモとして。
書籍情報
第1章 どのパソコンも見捨てない|教育テクノロジーの矛盾する結果
- マルチポイントのプロジェクト。ワン・ラップトップ・パー・チャイルドの失敗
- PCを支給された小学校の生徒たちは大喜びし1台のPCに5,6人が群がりゲームを始めた
- 教師たちはゲームはカリキュラムには沿わないと文句をいい、デジタル機器を指導要綱にどう盛り込むかもわからず途方にくれてしまう
- 数週間もするとPCに故障(校舎や設備が十分でないことも関係している)が発生してしまうのだがITに詳しい職員など一人もおらず技術サポートを頼める予算もない
- 結果、コンピューターはホコリをかぶり、コンピューター室も物置となってしまった
第2章 増幅の法則|テクノロジーの社会的影響についてのシンプルで強力な理論
- インドのナッカルバンドでPCを用いた教育を行った事例
- 導入当初は生徒たちは喜び、PCの使い方を熱心に覚え始めた
- だが、一定期間経つとだんだんと興味が薄れ、エクセル等のソフトも有効な使い方を自ら覚えることはなかった
- 要因は生徒たちの家庭環境にあり、仕事と学校の予定がびっしり詰まっており、多忙であること。また、仕事や学校のストレスを緩和する場として、PC教室に参加しているだけだった
- また、インドでは女性は結婚したら家庭に入るのが一般的であったり、賢くなりすぎると花嫁持参金が上昇するという理由から、親がPC教育を受けさせたくないといインド特有の理由もある
- ここでわかったのは社会問題にガジェットを投げつけてもなにも効果がないということだけだった
テクノロジーから何が得られるかは、テクノロジーのあるなしにかかわらず、彼らがどんなことをしたいか、あるいはできるかによって異なるということだ
パソコンは、必要な知的作業を人力でやるよりもっと早く、簡単に、強力にこなす手助けをしてくれる。だがどのくらい早く、簡単に、強力にできるかは、利用者の能力にある程度左右される。携帯電話は長い距離を越えてもっと多くの人々と、もっと頻繁に繋がるコミュニケーションを取る手助けをしてくれる。だが誰とコミュニケーションをとってそこから何を得られるかは、利用者の既存の社会的能力によって異なるのだ。
- バンガロールの例でも大半の生徒は興味を失ったが2人の少女は教育の価値に気付き、炎を煽られるように熱心に取り組んでいた
- 子供は学びたい、遊びたい、成長したいという本能的欲求を持っている
- 同時に非生産的な手段で脇道へそれたいという本能的欲求も持っている
- 増幅の法則は上記いずれのケースにも該当し、増幅させてしまう
- そのため、プラスとマイナス、どちらに触れるかは本人の意志と周囲の理解とサポートに懸かっている
インターネットはそれ単体では何も変えることができない。だが既存の力を増幅することはできる
第3章 覆されたギーク神話|テクノロジーの迷信を打ち砕く
- デジタル化は必ずしもコスト削減に繋がるわけではない
- 組織内部の障害物を取り除くには、まずは効果的な人間関係を構築すること
- 社内報や社内Wikiを立ち上げても根本的解決にはならない
- デジタル・バイドにおいても増幅の法則は適用され、格差をつなぐ橋ではなく、隙間を押し広げるジャッキの役割を果たす
- すぐれたデザインとは、私たちの心に訴えかける技のこと
ジャン=ポール・サルトルによれば、テクノロジーは私たちがそれをどう見るか、それ以上のなにものでもないそうだ。そしてサルトルが述べたように、責任とは幸福であると同時に災いでもある。一方で、私達はテクノロジーで何をするかをきめることができる。だがもう一方で、私たちはテクノロジーで何をするかを決めなければならないのだ
第4章 シュリンクラップされた場当たり処置|介入パッケージの例としてのテクノロジー
- 介入パッケージとはテクノロジー、アイデア、政策、その他方法を用いて社会課題の部分的な解決策を示す方法を指す
- 学資援助、チャーター・スクール、住宅ローン、選挙、ワクチン接種など
- 介入パッケージは手段であり、受け手の意志や能力には影響を与えられない。それは、社会問題が根強い地域ほど不足している
- よって、”ソレ”が成功するかどうかはヒトの意志や能力などに依存する
- 小規模なプログラムで成功しても大規模プログラムでは失敗しがちなのは小規模時は比較的意志や能力が高い人材が多いが大規模に広がると平均か平均以下の人達が増えるためだと考えられている
テクノロジーは暮らしを豊かにすることができる。選挙は市民に力を与えることもできるし、マイクロクレジットはよりより暮らしをもたらすことができる。だが、「できる」は必ずしも「する」と同義ではない。現代社会は最先端機器をやみくもに信奉しがちだが、電源を入れるのは人間の指であって、操作するのは人間の手だ。私たちはなぜ、シュリンクラップ包装された場当たり処置にこれほどまでに夢中になるのだろう?より知識の深い者までが介入パッケージを真の解決策と謳い上げるのはなぜだろう?その理由は根深く、何世紀もかけて形つくられてきたものだ。
第6章 人を増幅させる|心、知性、意志の重要性
- デジタル・グリーンの三つの原則
- 1.目標に合った人的能力を特定するか構築すること
- 2.適切な人的能力を増幅させるために介入パッケージを活用すること
- 3.介入パッケージの無節操な普及は避けること
- 優れたパートナー組織の三つの資質
- 1.意図(心)
- 2.判断力(知性)
- 3.自制心(意志)
- これらが備わっていれば増幅の法則に従って介入パッケージの成果も期待できる
第7章 新しい種類のアップグレード|テクノロジー関連の前に人間開発を
- 内面的成長は内面的な動機という概念とも組み合わさっている。外的な報酬や懲罰ではなく、人の内面から湧き出る動機という概念とも組み合わさっている。外的な報酬や懲罰ではなく、人の内面から湧き出る動機だ。そして内面的な学びとも関わっている
- 内面的成長は集団にも当てはまる
発展は黙っていてもやってくるものではない。だが内面的成長を向上させようという努力はほんの少しであっても、おのずと持続可能になることが多い
第8章 願望の階層|内面的動機の進化
- 内面的成長は社会問題に苦しむ人々がそこから抜け出せるようになるための基盤であり、安定した環境にある人々が他社のために貢献しようと思う理由になる
- スタート時点で貧しかろうが裕福だろうが、抑圧される側だろうがする側だろうが、無力だろうが強力だろうが関係ない
- 願望は強い力でありその追求を後押しするための決り文句だ
- 願望はもっと良いものを目指すよう人を促す
- たとえ外的要因に影響を受けるとしても願望は内面的である
- 願望はゆっくりと粘り強く生まれ、長期に渡って続く
- マズローは内面の成長を良いものと見ており、それを「性格の学習」または「内面的学習」と呼び、これが内面的成長の要だと述べた
内面的成長は、外的変化よりも内面の成熟を重視する。真の進歩はゆっくりと段階的に起こるものだという事実も受け入れる。そして特定の普遍的価値の繁栄ー個人の自由だけでなく、個人の高潔さーと進歩を結びつけるのだ。人の発展の枠組みは、「テクノロジーの十戒」への反論を提供する。真の発展は厳密に言うと、今の私たちが抱くすべての欲求を満たすことと同じではない。私たちの欲求そのものが進化することなのだ。
第9章 国民総英和|社会的発展と集団の内面的成長
さらなる成長は可能だが、保証されているわけではない。幅広く思いやりのある世界が実現する日が来るのかどうか、それは定かではない。現代の地球文明は、消費と個人的達成を特徴とする自己実現のかタッチにとらわれているように思える。だが、自己超越的世界がたしかなものではないとして、そこに向けて努力する価値はある。それは信じるだけの価値がある夢であり、実現可能な自己充足の予言であり、私たちの未来に向けたより明るい願望なのだ。
第10章変化を育てる|社会的大義の枠組みとしてのメンターシップ
- 熟練に近道はない。どのようなテクノロジーも、制度も、政策も、手法も、初心者を一夜にして一流のピアニストに返信させることはできない
- 願望が明確にならない、あるいは形成されていないという場合がある。これは子供の場合に大奥、その場合は特殊は助言や直接指導が必要となる
- メンターシップモデル。これはマネジメントの概念にも近い
- 被助言者を運転席に座らせて関係を構築する
- 強制、操作、寄付、貿易はメンターシップとは呼べない
テクノロジー至上主義的な目標には手っ取り早いインセンティブがある。残る仕事は、本質的に難しいものばかりだ。だからこそ、均衡のとれた発展を望む者にとって、自己超越的な動機を持つ者にとって、純粋に社会的変化を求める者全てにとって、もっとも有意義な努力はテクノロジー至上主義的な価値観によって後押しされるものではない。介入パッケージは比較的簡単だ。個人と集団の心、知性、意志を育てるのは難しい。私たちに必要なのは、もっと多くの人々が長く、つらい道のりを選ぶことなのだ。